2018年7月31日火曜日

【幼稚園教諭】双極性障害はモノクロの世界【休職決定】

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休職が決定した。期間は9ヶ月。
前回の病気休暇から1年と少し。
もたなかった。

子どもたちの声が聞こえる。
夏休み。
ラジオ体操、プールにかき氷。
青い空にまばゆい太陽。
白い雲に、くっきりとした影。

春や秋に比べればシンプルだけど
エネルギー溢れるコントラスト。


それに比べ、私はベッド。
天井は真っ白。
カーテンは閉め、
エアコンで調温された涼しい空間。

モノに色はあるけど動きはない。

だから、モノクロ。
命のない世界。

しゃべらない、笑わない・・・泣く。
ただ、ただ悲しい。

外の見える窓には断熱シート。
暑さ対策ではない。
外の人にみられる気がして
視線が怖くて貼り付けた。

体は悪くない。
でも、どこかレーザービームで攻撃されているような
過敏で苦しい日々。
苦しい。
本当に苦しい。

これが双極性障害の私の日常。


2018年7月27日金曜日

【幼稚園教諭】自殺までの道のり【双極性障害】

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双極性感情障害と診断された。
だからといって、
自分自身の今の状況が
何か劇的に変わるわけではない。

ましてや減薬中。
薬変更中。
治療方針変更中。

体調は以前の悪い状態に戻ってしまった。

夜眠れない。
疲れているのに、眠れない。
心臓が固く、苦しい。
首が固い。
胸が一枚の板のように感じる。
呼吸も苦しい。
だから横を向いて
枕をギュッと抱いて寝ようとする。
寝れない。

だから睡眠導入剤を飲む。
数分経って、また寝れない。
きっとこれくらいの量では足りないのだろう。
そう考え、また一粒、睡眠導入剤を飲む。

飲めば眠気が来るだろうと思う。
でも、そう思えば思うほど寝れない。
実際には頭の遠くで眠気は来ている。
でも、寝ることを拒否している。

闇に引き込まれるようで怖い。
その先に何があるのか。
何もないのではないかと思うと怖い。

時が進むこと、
年を取ること、
周りが進むことが怖い。

でも寝なきゃならないとなぜか思ってしまう。


そして気づけば睡眠導入剤10粒・・・
手足がしびれ、
ろれつが回らない。

致死量とかにはならない薬なので
自殺ができるわけではないが
自殺をしたくなる気持ちって
こんな感じで簡単に一歩を踏み出すのだと思う。

10粒で致死量を超える薬だったら・・・



あんまり怖くない。
自分のことなのに、自分のことじゃないような。
いや、そもそも自分はこの世にいない。
いても意味はない。
そんな存在。

だから、こんなこと深く考えるのはやめた。

今は死にたいとは思わない。
でもいなくなっても何の問題もない。
そんな私。

2018年7月21日土曜日

【幼稚園教諭】勝手に断薬をしたら地獄が待っていた【双極性障害】

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うつ病から双極性感情障害と診断が変わった。

それに伴って、
薬の変更をした。

しかし、この薬の変更がとんでもなくつらい。

薬には副作用があり、
飲んだら効果もあるが、
一方で気持ちが悪かったり、
血圧が下がったり、
違う効果も表れ、
それが本人の望んでいない効果なら副作用だ。

でも、うつ病のために飲んでいた薬には
離脱症状という薬の作用がある。
これが恐ろしく怖い。

これはどのようなものかというと
うつ病の薬を飲み続けていると
常に薬の成分が血液の中に一定以上ある状態になる。

そこで突然、薬をやめると
体の中の薬の成分が一気に下がる。
すると体がなれていた状態から
突然変化するため、
その変化に追いつけず、
とてつもなく体調が悪化する。


実は今回うつ病の薬から
双極性障害の薬に変えるにあたって
まずはうつ病の薬を減らしていった。
いわゆる減薬というやつである。

病院の先生は1週間ずつ通院をしながら
量を減らしていくように指示をしてくれた。

だけど、守らなかった。
減薬がはじめてだということもあったけど
何より自分の薬は
そんなに効果のある薬ではないと思っていた。
だから影響はほとんどないだろうと。
薬の副作用だってほとんど実感したことはない。
心配なんてみじんもしなかった。


結果、1日中のたうち回った。

薬をやめて2日目に変化が起きた。
キーンと耳の奥が響きだした。

そして、奥の方の歯に力が入らなくなった。

そして全身がけだるくなった。

筋肉という筋肉がけいれんし始めた。

ふわふわと浮いている感じになった。

回っている感じになった。

かと思えば体が鉛のように重たくなった。

そして全く眠れない興奮状態。

吐くものはないけど気持ち悪かった。

こんな状態が3日間続いた。
それでも耐えた。

勝手に始めた断薬。

何となく意地になった。

3日間ほとんど何もできない。
でも耐えた。
そして負けた。
負けたというのは勝手に自分が思っているだけで、
自分で自分の体を痛めつけているだけなのだが・・・

そして、薬を飲んだ。
いつも通りのうつ病の薬を飲んだ。



この時初めて知った。
効果を実感しなくても
薬を飲むということは
何かしら体に作用しているものがあるということを。

そして怖くなった。
正しい薬、正しい飲み方を守っても
いつか自分の体が壊れるのではないかと。


でも、私は8年間、薬を手放せていない。

2018年7月18日水曜日

【双極性障害】上司が精神疾患患者の家族だった。【幼稚園教諭】

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双極性感情障害と診断されてから
そのまま連休に入った。

そして連休を終え、また欠勤の日々が始まる。
ただややこしいのは、
私もまだ理解していない
双極性感情障害について
電話口で簡単にでも伝えなければならないこと。

なるべく邪魔にならない時間を想像して
狙撃兵のように、今だとスマホの通話ボタンを押す。

同僚の声。
当たり障りのない会話でその場を切り抜ける。

管理職、すなわち園長に変わってもらう。
「おはようございます。」
「おはよう。どうしたの?体調悪い?」

矢継ぎ早に話すのが園長の人柄。

「はい。」
「そう無理しないでね。」

あっという間に電話を切りそうになるので、
すぐに声を強めに出して、

「すみません!」
呼びかけたような謝ったような、
いつもの中途半端な話かけかたをする。

「どうしたの?」
園長は応じてくれた。

「実はうつ病を以前したと思うのですが、それが変わって・・・」

「また、病気が再発したの?!」

驚いたように園長は言う。

わたしは、園長のちょっと迷惑そうな
「また」
という言葉に気持ちが引く。

「すみません。」
また謝る。
「双極性障害っていう昔は躁うつ病って言われていたやつになっちゃって」

「・・・」
園長は明らかに一瞬黙った。
何を考えていたかはあとで分かる。

「今体調が悪いのですが、さらに薬を変えるらしく
出来ればまたお休みをさせていただいたいです。」

なんだか、すっきり言えた。
2回目の慣れだろうか。
仕事を休むなんて生きてる価値のない人間だと思うけど
平気でそれを口に出せるようになった私。

心が真黒くなったのだろうか。
最低な人間になり下がったのか。
糞野郎だと思った。

でも、園長は
「分かった。また一緒に病院へ行ってもいい?」
そう優しく聞いてくれた。

そして、園長は続けてこういった。
「私の娘も躁うつ病なのよ。」

予期していないカミングアウトに
人は臨機応変に対応できない。
いや、対応できる人は能力が高い。

私は固まり、タブーを聞いたような
罪悪感が体に入り込んだ。

管理職としてたんに優しく接しているのか、
自分の成績のためにぐっとこらえて付き合ってくれているのか、
そんなことばかり考えていた。

でも、実は精神疾患の患者と家族。
私たちはそんな共通点を持っていた。
意外と身近にそういう人はいるのだと
この時初めて知った。

2018年7月15日日曜日

【幼稚園教諭】双極性感情障害と診断される【どこも悪くないのに病気】

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幼稚園教諭になる

バリバリ働く

異常なほどバリバリ働く

電車で倒れる

パニック障害と診断される

仕事を続ける

朝起きられず、欠勤を続ける

うつ病と診断される

病気休暇3ヶ月と有給を合わせ
約4ヶ月の長期休暇を取る

復職をする

バリバリ働く

電車で倒れる◆イマココ

結局電車で倒れた後は通勤できなかった。
そして、精神神経科へ。

そこで、いつも通りの通勤。

いままで体調は良くても
1ヶ月に1回は薬のために通院。

だから割といつも通りに平常心で診断を受ける。

すると、予想していなかった言葉。

お医者さんが
「ごめんね、診断が変わるから」

今まで普通に会話し、やり取りをしていたお医者さんが
突如の謝罪。
そして診断名変更。

「双極性感情障害、昔はよく躁うつ病と言われていたものだね」
とさらりと言う。

私は、基本的な知識がない。

質問をしようにも、
何も思いつかない。

「はぁ」

この一言しかなかった。


お医者さんは
「この病気はうつ病と似ているときもあるけど
基本考え方が違うので、お薬もすべて変えるよ」
と言われた。

いや、私としては双極性障害?のことが知りたかったのに。

異常に元気すぎるときと気分が落ち込んじゃうときが
入れ替わるようにやってくるとだけ説明してくれた。

治るのだろうか。
そもそも、では今まで飲んでいたお薬とか
お休みは意味があったのか。

そんなことを考えられたのは、
診断が終わって双極性障害について
Googleさんで検索してから。

私、このまま人生終わっちゃう。

この日、一番心に残ったのはこれだけ。

誰にも相談せず、誰にも打ち明けられず
どこも悪くないのに
病気だと言われる。
この違和感は今も変わらない。

さぼり?逃げ?
まるで私は適当人間のようだ。

そして私はこうなった。


幼稚園教諭になる

バリバリ働く

異常なほどバリバリ働く

電車で倒れる

パニック障害と診断される

仕事を続ける

朝起きられず、欠勤を続ける

うつ病と診断される

病気休暇3ヶ月と有給を合わせ
約4ヶ月の長期休暇を取る

復職をする

バリバリ働く

電車で倒れる

双極性感情障害と診断される◆イマココ

2018年7月12日木曜日

【幼稚園教諭】双極性障害と初めて出会った日【うつ病最後の日】

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職場に復帰してから1年2か月。

病気で長期の欠勤をしていたことなんて
完全に忘れていた。
もう誰も、そのことに触れる人はいない。

家族ぐらいかな、体調はどうって。
聞かれると大抵即答で大丈夫!!と答える。


ただ、仕事と自分の体調は確実に変わっていた。

まず、46時中仕事のことを考えている。
元々幼稚園教諭のお仕事は休みのない仕事だと思ってる。

小学校や中学校の先生に比べれば
ブラックではないかもしれないけど、
制作やピアノ、行事などは仕事に際限がない。

ましてや、その時期、地域との連携を叫ばれていて
土日は地域のお手伝いもしていた。
お金は出なかったけど(笑)

でも、好きで始めた仕事だし、
あんまり違和感はなかった。

でも、時々仕事につまずくと
それを解決するために時間をかけたいのに
他の仕事で時間がない。

そうすると私の場合、
幼稚園に泊まり込んで仕事をする。

他の先生からは熱心と思われるより
変人と思われていたかもしれない。

そしてその時は必ず体がほてっていた。

寝ないで次の日、子どもたちとプール。
頭はくらくらした。
でも夜になると、意欲的になって
アイディアもたくさん思いついて、
制作も満足のいくものができて。。。

でも幼稚園は一人を相手にしているわけじゃないので、
制作も人数分必要なことも多い。

手の込んだものを作れば、
それを人数分。
手間に比例して作業時間が延びる。

でも、エネルギーに溢れているからできる。
永遠にできそう!!!!!!!!!!





そんな日が続いたある日。
電車に乗ったら、突然やってきた。

汗が止まらない。
呼吸が苦しい。
涙が出る。
感情が整理できない。

そして気づいたら、勤務先手前の駅のホームに
じかに座っていた。
スカートも気にせず、
足を広げて・・・。
変な人だったと思う。


わたしは今までずっと
うつ病、パニック障害として生きてきた。
でも、これがきっかけで
双極性障害(躁うつ病)と診断された。
ずっと双極性障害だったと思うけど、
やっと私がその病名と出会うきっかけがこの日。

2018年7月9日月曜日

【双極性障害】職場復帰をスムーズに進める方法と弊害【幼稚園教諭】

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職場復帰してから
いつも以上に必死に働いた。

周りも私も病気のことなんて
仕事中は一瞬だって思い出さない。

ただ、仕事を終え、食事をし、
布団に入る前に5種類の薬を飲む。
この瞬間、私は普通の人じゃないと思う。

そして寝るのが怖い。
睡眠導入剤も飲んでいるので
頭はぽわーんとしてくる。
いけないと分かっていても、
スマホを片手に、眠りにつく時間を少し引き延ばす。

引き延ばして引き延ばして、
スマホを片手に、だらしない格好で寝る。

それが私。



でも、パニック障害の発作やうつ状態の固まりが怖い。
だから、アラームは午前4時にセットする。
冬はまだ真っ暗。
夏は明るい。
そんな時間。

幼稚園教諭の出勤はまずまず早い。
朝、6時30分には家を出る。
それでも2時間30分前。
余裕があり過ぎる。
でもこれが心に余裕があっていい。
夜もよく眠れる。

一度調子に乗って夜更かしをしたことがある。
その後、寝る時間が遅くなり、起きる時間が遅くなった。
遅刻しそうになって焦り、
朝やるべき仕事を落ち着いてできなくなり、
仕事は何とかこなしたが、内容は失敗。

落ち込み、眠れず、また夜更かし。
そして、朝起きられるか不安になり、
発作は起きなかったが、非常に苦しい思いをした。

うつ病を患っているからとかではないかもしれない。
でも、朝の身支度、通勤中は仕事で焦るようなことがない
そんな時間の使い方をすべきだと思う。

なるべく朝は頭空っぽで出勤したい。

それが私の朝午前4時起きの目的。
そして、病気対策。
でも、社会人がこれをし続けるには無理があった。

疲れちゃったよ。

2018年7月6日金曜日

【双極性障害】職場復帰後の悪循環:見栄・焦り・プレッシャー【幼稚園教諭】

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精神疾患での長期の休みの復帰後。

毎日が順調に流れていく。
まるで何事もなかったのように。

私以外は何事もなかったのように。。。


復帰するまでは、
私をどのように思われるのか、
保護者や園児たちとどのように接していけばよいのか、

考える時間があるがために
余計な考えを巡らせる。

そして復帰初日は過緊張状態で
話をすることすらままならなかった。

しかし1週間もたてば、
やはり慣れてきて
仕事の手順を思い出すことも多い。

もともと自分の職場なのだから当たり前だが、
一度流れに乗ってしまえばそんなに苦労はなかった。

ただ、いつも通りに動いていく中で
ついていけないことがある。
休んでいたときの出来事や情報。
いなかった時の変化に対応できない。

例えば、保護者と幼稚園の関係、
園児同士のトラブル、
そして職員間の確執。

お医者さんに言わせれば
それは復帰した人にとって当たり前というが、
私には気楽に話せる職場の友達がいないので、
様子を探ることさえできず、
何となく空気を察して動くようにした。

それが疲れる。


さらに、職場に復帰すると
今までの自分を変えたいと思ってしまう。

こんなに休んだんだからパワーアップしなきゃならない
そう思い込み、気づくと今まで以上に役割をこなし、
先輩から褒められ、満足する自分がいた。

でも、自分の能力なんて急に上がるものではない。
それでも休んだ分マイナスになった評価を覆したい。
すぐに恩を返さなくてもいいのに、急いで恩を返そうとする。
だから、すぐにいっぱいいっぱいになって、
家に帰ると倒れこむように寝る。

そして自分自身が病気で休んでいたことも
ひと月も経てば忘れる。
当然、周りはもっと早く忘れる。


こうして、職場復帰を無事に果たしたはいいが、
病気で倒れる前よりも
より忙しい毎日を過ごしていく。

病気で倒れなければ再スタートなんて意識せず
少しずつ積み上げたキャリアを
病気でつまずいたことにより、
見栄と焦りとプレッシャーを勝手に作り上げ、
どんどん自分を追い詰める。


悪循環。


本人は気づかない。

2018年7月3日火曜日

【双極性障害】職場復帰訓練(リワーク)で苦しかったこと、分からなかったこと【幼稚園教諭】

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うつ病と診断され4ヶ月休んだ。
体調はほぼ回復し、
日常生活に大きな問題はない。

勤務している幼稚園も
学期の切り替えで
復帰できるよう配慮していただいた。

そんな中、通院しているお医者さんから
職場復帰に向けて
仕事にならす期間を設けようと
提案をされた。

期間は2週間。
最初の1週目は通勤の感覚を確かめ
次の1週間で仕事の負荷に慣れる。

いまでこそ、これが職場復帰訓練であり
リワークと呼ばれるものの一環であることを
理解することができる。

しかし、当時は初めて病休を取り、
復帰する私だったので、
その意味や目的はあまり深く考えず、
とにかくこれを失敗なく
綺麗にこなさなければという
強い緊張感があったことを思い出す。

そして、このリワークが私にとっては
今後苦しむ一つのポイントになるとは思いもしなかった。


私が初めて行った職場復帰前の訓練は
まずは、決められた時間に通勤し
簡単な事務処理をこなすことから始まった。

園長と打ち合わせをし
スタートしたのだが、
とにかく肩身が狭い。

朝は同じ時間に勤務をスタートするのだが
周りの職員が一斉に動き出し、
食事もとれない感じで
バタバタと動いているのに
私ときたら、椅子にちょこんと座り
書類の整理をしている。

実は職場復帰訓練にはいくつか約束事があり、
その一つが決められた仕事以外は行わないというものである。

職場に慣れること、仕事に慣れることを目的としているので
この期間に自分のキャパ以上の仕事をし疲弊しては意味がない。
そういう目的があるのだが、私は理解していなかった。

なにより、周りが懸命に働いている中、
自分一人が楽なことを続けているのは
拷問を受けているようなものだった。

それに人に言われて仕事をするのではなく、
自分から仕事に加わらなければならないと
口酸っぱく教えられていた私は、
周りの様子に加わるべきか悩み苦しんだ。


今であれば、落ち着いて復帰訓練をこなす、
その約束の重要性はよくわかる。
ある意味で、自分自身を制御する大切な機会になるから。

でも、顔見知りの職員の力になりたい、
そして何より子どもたちが私に寄って来る。
その状況で適当にはあしらえないし、
病気であることを説明したところで子どもは理解できない。

だから悩んだ挙句、
結局、いつも通りの日々を選んだ。

翌日も、与えられた仕事をこなした上で、
実務に手を広げていく。

周りの目も次第に戦力ととらえて、
頼みごとが多くなってきた。

でも、それが心地いい。
復帰訓練当初の抑圧から解放され
一気に解き放たれたような気持ちよさがあった。

人に頼られ、仕事を次々とこなすこと。
これが私の天職なんだと考え、
どんどん復職に向け気持ちは高ぶっていった。

そして、お医者さんもその働きぶりを評価し
うつ病、うつ状態はもう脱して
心配ないですねと太鼓判を押された。

みんなが喜んでくれた。
私はやっと普通に戻れると喜んだ。
普通に戻れるとずっと思っていた。

一度目の病休は綺麗に抜けることができた。
そして、順調に仕事を進めていく。
次の波が来るまでは。